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パチンコ物語

パチンコ ヒストリー 〜 ミステリールーツを探る

【 第2章 】  第1期 繁栄期

戦後の混沌としたなか、人々の心を癒し生きる力を与えたのが、歌であり、芝居であり、映画であり、パチンコでした。当初は、進駐軍の慰安施設として営業許可がおりましたが、全国に広がるには時間はかかりませんでした。

昭和21年 小物
正村商会
戦前のパチンコメーカーは淘汰され、新たなメーカーが頭角を現します。その、先頭に立ったのが、あの正村ゲージを生んだ正村商会でした。戦前からホール経営をしていたので、新たに許可を取ることなく、戦後いち早く開店出来た事も幸運でした。

戦後第1号機は正村商会の七五三。バラ釘と呼ばれる均一に打った釘の間を玉が落ちる単調なものでしたが、入賞する穴によって払い出し数が違っていました。上段に入賞すると7個、中段は5個、下段は3個の払い出しがあります。今までは、どこに入賞しても払い出しは同じでしたが、裏の構造を工夫することによって払い出し数を変える画期的な台で、大ヒット。その後の、パチンコブームの火付け役になった台です。



昭和24年、正村竹一氏によって、その後のパチンコ史を変える「正村ゲージ」が誕生します。
もっと、お客さんに楽しんでもらえて満足してもらえる台が出来ないか。寝食を忘れ開発に没頭し苦心の末、正村ゲージ第1号「オール10」が誕生しました。
昭和24年 オール物 
正村商会
その誕生は、彼を慕う弟子達や彼の人間味に惹かれた人達の情熱によっても支えられました。

「仲間うちのことだで、みんなで仲よう使やええがや」

竹一氏は、この画期的なゲージの特許を取らず、ライバルメーカーに真似させる事を許したのでした。各メーカーはこぞってマネをしましたが、入念なテストを繰り返し、苦心して開発した正村ブランドはゲージを真似しただけでは、複雑な釘の動きやスランプを作り出せません。価格は高いけど、やっぱ本物は違う。正村の台でないとダメだ。と一層名を上げる事となりました。同じ頃、その後のパチンコ史を先導していく、平和が群馬で産声を上げました。


昭和26年、空前のパチンコブーム到来。ホールは全国で約1万2千軒。パチンコ製造は名古屋に集中し、全国の70%のシェアを占めていました。隣県に豊かな木々があり、それを加工する合板会社が多かった事が、発展したり理由です。
この頃から、18歳未満出入り禁止になります。群馬では、西陣と光新星が創業します。

昭和27年 20連発
豊国商会
昭和27年。この頃には全国で4万軒を超えるホールが乱立していました。未認可を含めると、その数はもっと多いでしょう。射幸心は、益々高まり、ついに豊国商会から20連発機が発売されます。それまでは「手込め」と呼ばれる単発式でしたが、この台は上皿が付いていて、連続して玉を打ち出すことが出来ます。通称「機関銃」、上手い人になると1分間に100〜150個以上の玉を打ち出します。当時の玉は1個2円、現在に換算すると1個50円!投資金額は飛躍的に上がり、大きな社会問題となりました。
昭和31年 豊国商会
2式半ゲージ

昭和29年。、規制が入り連発式は全面禁止となります。オール15以上禁止、1式・2式・3式のみ許可を出す。と言うものでした。

1式とは単発式、2式とは前もって玉を投入して、順番に自動的に打ち出すもの。ただし、循環式の場合は打った玉が、アウトかセーフになった後でなければ次ぎの玉が打ち出せない。3式は、循環式で自動発射でもいいが、打ち出す玉は1分間に30発以内のもの。

パチンコ業界は大打撃。相次ぐ廃業、ファンの激減。ホール数は3万軒をきりました。昭和31年には、ついに7千軒を割り込みました。


年代不詳 三つ葉製
パチンコ機に対する強い締め付けで、
年代不詳  コイン式
ホールもお客も激減した中、スマートボールが注目を浴びます。穏かなゲーム内容が、当時の風潮に受け入れられました。海外では、ピンボールとして進化を遂げますが、縦型ピンボール「パチンコ」に慣れてしまった日本では、これ以上の進化はありませんでした。

こちらのスマートボールは、ネクストにあります。何ともレトロな感じに癒されます。



昭和32年 西陣
ジンミット
昭和32年。苦境の中、西陣から初めての役物付きパチンコ第1号、ジンミットが発売されます。神武景気にあやかろうとつけた「神=ジン、受ける=ミット」パチンコ面白ネーミングのハシリでもありました。
昭和32年 奥村
コミックゲート


センター役物に橋が渡してあります。通過するだけの玉もあれば、奥に落ちる玉もあります。この、心憎い遊び心が、再びファンの心を捉えます。その後も、平和のコミックが人気を博します。モナコ、銀座など、各社それらを真似た台を出しています。

これを起爆剤に業界は活気を取り戻します。設置台数も多くなり、人が島の中に入って手作業で補給する方法では対応しきれなくなります。そんな中、昭和33年、竹屋が自動補給システムを開発し名古屋に導入されました。同時期、雀球が登場しました。

昭和37年、月光ライン、宇宙パイプといった、玉の自動追加装置が本格的入ったことにより、大型店化が進みます。テレビや映画でもパチンコが題材に選ばれ、大衆文化として定着しました。

その後、東京オリンピックを迎え、日本は高度成長期に入ります。昭和47年、アレンジボール登場。その翌年に、電動パチンコが誕生します。大型店がさらに増え、ホールコンピュータの元になるものが導入され始めます。この頃から、一気に新時代へ加速します。



                                                      
                                                 物語は続く >>

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